2009年3月13日金曜日

岐路にたちつつ

私は、“長靴をはいた猫”のようだ。
いや、というよりも、そのような者でありたい、と思っている。

「…わたしに袋をひとつください。それから藪の中を歩いて行けるような長靴を一足、作ってくだされば、それでいいんです。そうすりゃ、ご主人さまの分け前も、思ったほど悪くはないってことが、お分かりになりますぜ。」
(澁澤龍彦訳『長靴をはいた猫』より)


しかし、長靴も袋も、それを与えてくれる人も、ここのところ中々縁が無い。

派遣は登録したっきり。今日は近所の会社の面接に行くも、私が「個人事業を開業しようとしている」というところで敬遠され、手ごたえは今ひとつ。
大体、年収100万円そこそこのパート待遇で、どうやって生きていけというのだろう。これで副業をする人を嫌がる職場っていうのは、その人に対してモロに「死ね」と言っていることと同じだと思うが…。もうすぐ死ぬとわかっているような奴を雇うこともまず無いだろうから、今日の面接は、本当に徒労に終わったと思う。
バイト先では今日の午後、入力ミスのスパイラルにハマり、お客さんに指をさされてヒステッリクに、「あの人がやった!」と叫ばれるし。
ええ、ええ。私が悪ぅございましたよ。お客さんというのは、じきに死ぬとわかっている廃馬も容赦なく撃つのである。

ああ、踏んだりけったり。
叩きのめされたように、疲れた。
そうしてふと、松下幸之助の『道をひらく』のページを繰って、出会った言葉が、今の私の凹んだ心に良薬となった。




 動物園の動物は、食べる不安は何もない。他の動物から危害を加えられる心配も何もない。きまった時間に、いろいろと栄養のある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。
 しかしそれで彼らは喜んでいるだろうか。その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時に心に思い浮かべているような気もするのである。
 おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ、努力する必要もない、そんな境遇にあこがれることがしばしばある。しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。
 やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命(いのち)をかけてそれを切りぬけてゆく━━そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活があるともいえよう。
 困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。
(松下幸之助「岐路にたちつつ」)

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