2009年3月29日日曜日

割と「年寄り」感覚

「自分と相手を同じ立場という目線に立って考えてみよう」(2008年12月9日)

私は、しょーもない人間だ。つくづくそう思う。
しょーもない人間でい続けるより、もっと、素晴らしい者になりたい。

しかしこのところ、よくよく考えてみると、しょーもない人間も素晴らしい人間も、金持ちも貧乏人も、イケメン・ブサメン、右翼・左翼、藤原紀香・私、プーチン首相・私、…どれも大した差が無いように思えてきた。

神と人間の間や男女には差があるだろうが、人間と人間の間の差というのは、ほんの僅かで、この僅かな差を気にしなければ、自分を自分のままで肯定して生きていくことができる。

という気がしてきた。
何故そんな気がしてきたのだろう。物事の捉え方が大雑把になってきたのかもしれない。「凄い!」と思った人が、案外そうでもないことに気付く機会が、年を経て積み重なったに過ぎないとも。

しかし、「これだけは相容れない」と思う輩がいて、そういった輩と私の間には、神と人間の間や男女以外の、もう一つの“差”を生み出している。
この“差”こそが「差別」で、その“差”の基準になっているのが、要は「好き嫌い」とか「生理的」な感情だったりするんだろう。
理性でその“差”を曖昧にしても、突き詰めれば「ダメなものはダメ」なので、何故ダメなのかを考えていくと、かなり自分自身の姿を捉え易くなる気がしている。

例えば、「将軍様≒私」「毛沢東≒私」…、だし。
もちろん、向かって左側が私の下にくる。
将軍様や毛沢東が私と大差なくなるのは、一体いつのことだろう。永遠に無いだろうな。

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